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昨日は、父の日であった。二人の息子から何かメッセージがあるかと思っていたら、例年のごとく何もメッセージはなかった。
二人の息子はそれぞれ東京と大阪に住んでいる。ラインか何かで「お父さん、父の日、おめでとう」というメッセージが、今年あたりは来るような気がしていた。そのために、こちらも何か格好いい返信の文面を考えていたのだ。「今が人生の一番の踏ん張りどころだから、頑張るように」のような、父親としての威厳と優しさにあふれる文面だ。
しかし、何らメッセージは来ないので、返信のしようがない。プレゼントは来るとは思っていない。もらっても自分は当惑するだろう。しかし、メッセージに関しては、今年は何か来るような予感がしていた。
5月の母の日には、長男は花を東京から贈ってきた。次男は大阪からお祝いの電話をしてきた。家内はとても嬉しかったようだ。贈られてきた息子からの花の写真を撮って、あちこちの知人友人に送信して自慢していた。
今、家内は親戚の看病のために親戚宅にいるが、家内から「父の日おめでとう」という電話がかかってきた。息子からは何の連絡もないという話をすると「そんなものだ」と慰めてもらった。
統計によると、母の日に何かプレゼントするのは子どもの8割で、父の日に何かプレゼントするのは4割だそうだ。これも女の子と男の子で異なるだろう。プレゼントを渡す確率が一番高いのは、娘から母親へ、一番少ないのは息子から父親であろう。息子から父親へプレゼントするのは1割もいないのでは。
さて、自分の父親と母親の場合だが、二人が健在だったときは、妹と相談して次のように決めていた。母の日は自分が妹との連名で電報する、またプレゼントもする。父の日は妹が私との連名で電報してプレゼントもする。
そんな風に何十年も続いた。やがて父がなくなり、母が施設で寝たきりになると、恒例の電報とプレゼントもなくなっていった。3年前に母もなくなった。自分としては、父母に祝いの電報やプレゼントした日が懐かしく感じる。