戦国時代の武士の心構え
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2016-07-17

戦国の武将たちは一体全体どんな思いで毎日を過ごしていたのかな、と考える。日々戦いに明け暮れて、謀略、裏切りなど日常茶飯事であり、自分の兄弟や親子どうしでも、戦うことがあった。

常に死を意識していたと思う。とにかく日々殺し合いをしていた世界であるから、当然、自分が死ぬことも十分に意識していたと思う。その場合は、きちんとした死に方をしたいと考えていたのではないか。取り乱した死に方はしたくない、そんなことをすれば、代々語り継がれて、人の物笑いになるだろう、と、そのことを恐れたのだ。辞世の句などはすでに用意しておいたのだ。

武士として生まれてくるのは、非常なストレスだと思う。主君がどちらについたかで、全てが決まってしまう。関ヶ原で主君が西軍につくか、東軍につくかで、家来たちまで人生が決まってしまう。

武士という身分は捨てることはできないのだろう。下々の武士たちは脱藩して浪人となり、仕官先を探すこともできる。しかし、ある程度以上のの身分の者たちは、藩がお取り潰しになったら、死ぬしか道はないだろう。

これは、芸能界に似ている。あまりにも有名になった芸能人は人気がなくなっても、顔を覚えられているので、コンビニの店員とか、スーパーのレジのような仕事はできない。しかし、ほとんど無名であった芸能人はその点は気楽だ。どんな仕事でもできるのだ。

さて、武士として、生きていくことは大変だったが、その奥方たちもこれまた大変な時代だった。夫が謀反をおこせば、処罰されるときは、家族もろとも処刑されるし、夫の仕える主君が戦いに負ければ、これまた似たような運命だ。さらには、自分の実家の父が何かことを起こせば、これまた大変なことになる。明智光秀の娘の細川ガラシャ夫人の例がまさに当てはまる。

この当時は、恋愛結婚は、すくなくとも武士の世界にはなかったようだ。ほとんどが政略結婚で、13歳か14歳ぐらいで、親の決めた相手に嫁がざるを得なかった。嫁いでも、有力な武将は正室がいて、側室がたくさんいるので、女性同士の競争も激しかったろうと思う。

さて、この当時にもしも生まれるとしたならば、自分は商人として生まれたい。農民のように同じ地に縛り付けられて、単調な暮らしをするのではなくて、商人として、自分の才能に頼り、各地を動き回りたい。重苦しい封建時代にあって、商人はある程度だが、自由な身であったのではないか。

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