2016-03-11
5年前の今日この日に東日本大震災が起こった。大地震、巨大な津波そして原発の事故は日本に多大な損害を与えた。また、多くの人が亡くなり、いまだ行方不明の人も数多くいる。震災による死者・行方不明者は18,455人に上るそうである。さらには、生き残った人々も住みなれた故郷を離れざるをえなくなり、いまだ避難所生活の人もいると聞く。
5年前のこの日は私は京都にいた。この地震が起こった瞬間だが、この建物もかすかに揺れた。京都でも体感される揺れであったので、震源地に近い東北地方はどんなに大変な揺れであったのか想像を超えるものがある。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7とのことだが、この震度7というのが、どれくらいの揺れか、立っていられないほどの揺れであろう。
私の義理の弟が埼玉県に住んでいるが、地震の時には、「来る来ると言われていた東海大地震が遂に来たのだ!」と思ったそうである。埼玉の住民が驚愕するほどの地震だったそうだ。義弟の子供たちは新宿で働いているが、交通が不通になる中で、夜通し歩いて何とか埼玉の自宅に戻ったという。
その時の地震は震源地は東北沖であったが、次は東海地方だろうと言われている。あるいは富士山の噴火は必ず起こると言われている。自然の時間を測る尺度は長いから、現代人が生きている間に起こるのか起こらないかは言えないが、とにかく必ず起こると言われている。
そんなこともあり、新幹線で東京に往復するとき、特に富士山を見るときは何故か必ずそのことを思い出す。そして、高速の新幹線の座席に座っていると不安に襲われることもある。忘れたころに天災はやってくるという。どうか大きな災害にならないようにと祈るだけである。
さて、家族とは大地震の時には、携帯電話も止まるだろうから、互いの連絡も難しくなるから、とにかく集合場所を決めておいた。近くの公園に集まろう。その場所から離れるときには、何か伝言かメモでもそこに残しておこうと決めてある。あと、懐中電灯、乾パン、ミネラルウォーターなども用意しておくといいのだろう。まだ購入していないが。