市丸という女性の生き方(1)
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2016-03-29

市丸が当時の総理大臣であった近衛文麿の愛人であったことを数日前に知って非常に驚いた。この当時の芸者の生き方の一つの典型として金持ちの妾になる道があった。

長野県の松本市生まれで、おそらく貧しい家庭に生まれたのであろう。この当時は、貧しい生まれの女性がある程度の生きていく糧を手に入れるには、芸者という道を歩むしかなかった。

当時の結婚は見合い結婚がほとんどである。仲人の人や周りの人々が釣り合うと思われる男女を紹介しあって、結婚させた。自由恋愛という形の恋愛はこの時代は少なかった。

現代の自由恋愛という形は、大変なストレスを若い人々にかけていると思う。年頃になれば、恋人がいることが当たり前の風潮である。恋人がいない人は肩身の狭い思いをするという時代、自分で相手を見つけて結婚をしていくためには、大変な労力とストレスを経験することになるが、これが現代の特徴だ。

当時のある程度の資財のある男性にとっては、結婚をするのは素人の女であり、恋愛を楽しむのは、玄人女性ということになる。

高校生の頃、学校の現代国語の読書感想文に『雪国』を読んだがあんまり面白いとは感じなかった。面白いというよりも意味が分からなかったのだ。それは当時の文化を知らなかったのだ。『伊豆の踊子』も芸者の存在、彼女たちがどのように社会的な評価を受けていたのか、またどのような社会的な階層出身の人々であったのか、そのようなことは全く知らなかった。

貧しい階層出身であり、ある程度、容姿が整っている女性が、芸者業に入るのは決して例外的なことではなかった。そのような背景のもとでの女性との恋愛を楽しんだ川端康成の書く恋愛小説が田舎の高校生に分かるわけがない。

読書感想文の課題に『雪国』『伊豆の踊子』を与えるのは無理だろうと思う。的外れな感想文しかでてこないであろう。おそらく『野菊の墓』などがいいであろう。

自由恋愛が戦後から一般的になった。それに伴い、曲のほとんどは恋愛に関する歌、それもほとんどがうまくいかない恋を悩む歌になった。男女ともに自分の意思で選ぶようになると、選ばれるのは容姿端麗な一部の人に殺到する。するとほとんどの人は自分の希望が叶えられないことになる。それゆえに、その悩みを歌にして発散させることになる。

戦後のアメリカ軍の支配による思想の大変貌は恋愛における人々の行動を大きく変えた。それにより、相手を自分の手で見つけなければならないという大変な仕事が各自に降りかかるようになった。

市丸の女性としての生き方を論じるつもりだが、かなり脱線してしまった。ここでいったん記事を閉めて、次の記事に仕切り直しで論じていく。

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