勝竜寺城公園を訪れる。
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2016-06-19

阪急京都線の長岡京駅の東口を降りて勝竜寺城公園を訪れた。ここは昔、勝竜寺と呼ばれるお城があり、細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても有名である。1578年8月、藤孝忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごした城である。

細川忠興・ガラシャ像
細川忠興・ガラシャ像

ガラシャ夫人の生涯は運命に翻弄された女性の悲しさの象徴と言えるだろう。ガラシャは明智光秀の三女であったので、1582年に本能寺の変で父が信長を討ち、その後山崎の合戦に敗れて滅びると彼女は逆臣の娘ということになってしまった。

彼女は1584年まで、丹後国の味土野(現在の京都府京丹後市弥栄町)に隔離・幽閉される。その後、細川家の大阪屋敷に戻るのである。

1587年に教会に密かに行き、キリスト教に関心を示すようになる。そして、密かに洗礼を受けてキリスト教に改宗をする。

1600年に、東軍と西軍の対立が深まると、西軍の石田三成は大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶して自害する。

このようにガラシャ夫人の37年の生涯は運命に翻弄されるものであった。彼女が新婚の頃に過ごした勝竜寺城は勝竜寺公園として残っている。公園の中は、静寂であり、あまり観光客も訪問しないようであった。幾つかの写真を下に示す。

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正面の入り口
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ここからも公園に入ることができる。

また、この勝竜寺城は山崎の戦いに敗れた明智光秀が、一旦退いた城でもある。山崎の戦いでは16,000名の兵がいたが、敗れてからは逃亡するものが相次ぎ、700名ほどしか光秀に付き添わなかったそうだ。

この城にも羽柴秀吉の軍勢が追ってくるので、光秀は坂本城を目指すが、途中で落ち武者狩りの百姓の槍に刺されて深手を負い、自害する。

さて、山崎の合戦に敗れた時の光秀の気持ちはどうか。人生最大の大博打が裏目に出たことを知った彼はどのような思いをいだいたのか。

さて、山崎の合戦のあった場所だが、現在は国道や高速道路があって、昔をしのぶことはかなり難しい。

その日は車で大山崎町まで行って、合戦のあったと思われるあたりを写真に撮る。車の往来の激しい道で殺風景として風情が全然ない。

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しばらく行くと大山崎のインターがある。
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この辺りで合戦があったのだろう。