月読神社へゆく。
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2016-06-27

昨日は、曇りがちであったが、雨は降っていなかったので、散歩に行った。例によって嵐山の方向に向かって歩く。いつもとは違う道を歩いた。このあたり、家がごちゃごちゃ建っていて、また、狭い道なので、車もあまり通らず、散歩には絶好の場所のようだ。ちらほら何人かのハイキングの格好をした人も歩いている。

ふと行くと、神社が現れた。その名は月読神社というようだ。京都はちょっと歩くと至る所に神社仏閣があるのが特徴だ。有名でないものもたくさんあるが、それぞれ地元の人にとっては大切で神聖な場所になっている。

この鳥居を登っていく。
この鳥居を登っていく。
途中でいわれが描いてある標識を見つけた。
途中でいわれが描いてある標識を見つけた。
奥は本殿か、手前は儀式を執り行うところ。
奥は本殿か、手前は儀式を執り行うところ(拝殿)。

京都市指定史跡とある。さて、どのようないわれななのか、このあたり、Wikipeida で調べてみると、古事記に語られている月読尊(つくよみのみこと)ではなくて、壱岐の神様を分祀して、京都に持ってきたようだ。Wikipedia の関連する部分を下に記す。

一般にツクヨミ(月読尊)は、『古事記』『日本書紀』の神話においてアマテラス(天照大神)の弟神として知られるが、月読神社祭神の神格はその記紀神話とは別の伝承で伝えられた月神であると考えられている。『日本書紀』顕宗天皇3年2月条における月読神社の創建伝承では、高皇産霊(タカミムスビ)を祖とする「月神」は壱岐県主(いきのあがたぬし)に奉斎されたとある。また『先代旧事本紀』では、「天月神命」の神名で壱岐県主祖と見える。これらから、当社祭神の神格は海人の壱岐氏(いきうじ)によって祀られた月神(海の干満を司る神)と推定される。また別の神格として、壱岐氏が卜部を輩出したことから亀卜の神とする説もある

京都のこのあたりは、壱岐は朝鮮半島とも近いし、どうやら大陸との影響が強い地域のようである。太秦や近くにある松尾大社などは渡来人の手によって作られたそうだ。ただ、歩いていても古ぼけた神社があるな、という感想しか抱かないが、そこに歴史やいわれを教えてもらうと何となく有り難みがます。

とにかく、1000年以上も昔に建てられたものであり、もちろん、建物などは何回も立て直されたものだろうが、歴史を味わうことができる。あまり人の寄り付かない地味な神社でも、こんな風に歴史が詰まっているかと思うと感慨無量である。なお、本殿の奥の方には、熱心な信者さんか、多分近所の人と思うが、お祈りしてから一生懸命掃除をしていた。写真でも奥に見える女性だ。こんな情景も京都らしくて、なかなかよい。