2016-07-11

このところ、『関ヶ原合戦』(二木謙一著、中公新書)を読んでいた。面白いと思ったのは、当時の戦国大名たちがどちらにつくか迷っていたことである。ほとんどの武将がお家の安泰のためにも、自己保身のたまにも、とにかく勝ち馬に乗りたかった。負けると分かっている陣営に付くと、それはお取りつぶしか、最悪は処刑をも意味するから慎重になったのは当たり前であった。

中には、一族を意図的に二つに分けて、一方は東側に、一方は西側陣営につく。どちらが勝っても一族の半分は生き残れるようにしたのである。とにかく知恵を振り絞ったのである。

先般、関ヶ原の古戦場を訪れた。東西両軍が死闘を尽くした場所には今は石碑が建っているだけだ。そして、石田三成が陣を構えた笹尾山にも登ってみた。

関ヶ原古戦場跡
関ヶ原古戦場跡
笹尾山
笹尾山

この当時は、戦場での戦いも一対一の戦いより、集団での戦いに移っていった。まず、柵をつくり、そこに鉄砲隊がいて、敵の軍勢が近づくと鉄砲で射撃する。そして、その後ろには長槍を持った足軽がいて、敵が柵を越えて攻めてくるのを防いだのだ。

関ヶ原のあたりは、今は広々とした田んぼが広がっている。そして、400年以上も昔に何が行ったのか、歴史を知っている者以外は見当も付かない。

昔は荒れ野でここで激しい戦いが行われた。
昔は荒れ野でここで激しい戦いが行われた。

本を読んでの感想は、人間の世界は裏切りと陰謀策略が渦めく世界であったことだ。人が考えることは、まず自己保全だ。これは当たり前だ。選挙になると、金持ちは両方の陣営に献金をして、どちらが政権をとってもいいように保険をかけておく。同じことが400年前にも行われた。

そして、現代も同じだが、ちょっとしたきっかけで大合戦は決着が付く。様子を見ていた小早川秀秋は突然、西軍の大谷吉継の軍に襲いかかる。それが西軍総崩れのきっかけとなった。そして、形勢不利とみると西軍の敗走が始まる。そして、日和見で戦いに加わらなかった陣営も次から次と東軍に参加していく。

石田三成や小西行長らは後にとらえられて京都の六条河原で斬首され、首はさらされたのである。

さて、写真のこの畑であるが、昔はほとんどが荒れ野であった。ここで激しい戦いがあったのだ。じっと耳を凝らすと、武将たちの雄叫びが聞こえるかもしれない。今は平和な時代であることを嬉しく思う。昨日は参議院選挙であった。昔ならば、合戦で決めたことが、今は選挙で勝ち負けが決まるのだ。