2016-07-06
昨日は用事があって、上京して武蔵小金井の駅を降りた。実は自分は中学生の頃、1年間ぐらいだが、引越しをして武蔵小金井に住んだことがある。もう50年も以上も昔だ。中学の1~2年生の頃だ。なんという名前の中学校か、小金井第一中学校、あるいは第二中学校という名称だったか、よくは覚えていない。自分は貫井北町という名前のところに住んでいた。学校へは自転車通学をしていた。
あの頃は、けっこう緑が多くて、道路も舗装されていない箇所も結構あった。学校の雰囲気もかなり異なっていた。自分が住んでいた田舎の中学校では地味で所得も少ない家庭の子供達が多かった。ところが東京のこの中学校は豊かな家庭の子供達が多かったように覚えている。そろそろ日本の高度経済成長が始まろうとしていた。
田舎の学校では、「ペンを持っていますか?」はHave you a pen? とイギリス英語式で教えていたが、ここでは、Do you have a pen? とアメリカ英語式に教えていた。教科書も難しくなり、ついていくのが難しくなった。理科の先生は偉い先生だそうで、学会発表か出張で授業が休みが多くて、またサブノートを購入させて、生徒たちに発表させるという形式だった。自学自習の方法など知らない中学生たちは順番に発表せよと言われて困ったことが多かった。
思い出すのは、座席が横のKさんがとても親切でちょっと憧れたこと、数学の先生がある日石炭ストーブから新聞に火をうつしてインディアンごっこをしていた男子生徒数名に強力なビンタを食らわしたこと、給食はコッペパンで10円ぐらいだったか?コロッケやジャムが入っていて結構美味しかったこと、などであった。
よく、古本屋に行って、一冊10円ぐらいの文庫本で探偵小説を読んだこと。駅横の踏切をこえたレコード屋にレコードを見に行ったこと、その時に前から横を見ながら歩いてくる女の子がいて、よく見たら同級生だったこと。なぜか、自分に挨拶をしたくないのか、横を見ながら歩いていて、変だなと思ったこと。
などなど、を思い出す。駅はもう当時の面影はない。もう一回武蔵小金井の駅に来ることがあるか分からないので、写真を2枚ほど撮してしばし、感傷にふけった。