昨日の高速道路の運転で、布施明による『シクラメンのかほり』を何回か聴いた。名曲である。
真綿色したシクラメンほど
清しいものはない
出逢いの時の君のようです
ためらいがちに かけた言葉に
おどろいたように ふりむく君に
この曲の歌詞を自分なりに解釈すると、「若い頃に出逢って恋した女性のことをシクラメンの香りで思い出して、追憶にふける男性の歌」ということになる。
シクラメンの香りで若い頃の激しい恋愛を思い出すことができる人を羨ましいと思う。自分には残念ながら、そんな思い出はなかった。淡い慕情、中途半端なお付き合いはあったが、心の底からの燃えるような恋愛感情は経験したことがない。
たとえ、失恋に終わったとしても、燃えるような恋愛感情を経験したならば、その思い出で一生を生きていける。一生の宝になるだろう。そんな宝を持っている人を羨ましく思う。
自分は今60代であり、人生の店じまいの準備も始めなければならない。振り返ると、大恋愛を経験しなかったので、自分の人生には大きな欠陥、大きな悔いがあったかのように感じられる。
この前、自分と同じ世代に属する女性と話をしていたら似たようなことを言っていた。「女の人生は大恋愛というイベントがなかったら意味がない」そうだ。
この点は、男性よりも女性の方が強く感じるのかもしれない。「大恋愛というイベント」があれば、その後の人生を支えてくれる。
布施明の歌を聴きながら、そんなことを考えた。さらには、自分が布施明のように格好良い容姿に恵まれていたらとか、あの女性とは中途半端なお付き合いであったが、あの時に自分は積極的な行動を取っていたら、別の人生もあったのかな、と考えたりした。
うす紅色の シクラメンほど
まぶしいものはない
恋するときの 君のようです
とにかく、いい曲であることは間違いない。自分の好きな女性が自分を恋してくれる姿は、とてもまぶしく映るのだろうな、と自分の想像力を駆使してみる。
二人にとっては、その瞬間は過去になったのだ。もう、素晴らしい時はこないのだ。次の歌詞も意味ありげだ。
時が二人を追い越してゆく
なるほど、時は戻らないのだ。あまりにも当たり前の真実だ。
さて、高速道路を降りてから、買い物をするためにスーパーマーケットに立ち寄った。入り口そばの花屋では、シクラメンをたくさん売っていた。そう、季節もシクラメンの季節なのだ。真っ赤な色のシクラメンが並んでいる。見ていると眩しい色だ。情熱の色なのだ。でも、この色は一冬だけの色なのだ。