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『シクラメンのかほり』の話を先日したが、今日も「シクラメンのかほり」の話をしてみたい。

まず、タイトルだが、「シクラメンのかほり」であって、「シクラメンのかおり」ではない。確かに「かほり」の方が「かおり」よりも優雅な雰囲気が出てくるなと思う。さすが、小椋佳はそのあたり優雅さを狙って上手な作詞をするなと感心する。でも、これは小椋佳の奥さんの名前が「佳穂里」なので、その影響でその名前がついたという説がある。

ネットでは、「かほり」が歴史的仮名遣いであるかどうか、という点で議論があるようだ。それによると、本当は「かをり」が正しいそうだ。でも、「かをり」と書かれると少々安っぽく感じる。優雅さはやはり「かほり」だなと思う。

『シクラメンのかほり』は布施明が歌ってヒットした。布施明の容姿だからこそヒットしたのだろう。これがもしも、最初から小椋佳が歌っていたら、ヒットは難しかったのではないか。失礼な話で申し訳ないが、小椋佳のあのごつい体と顔で『シクラメンのかほり』を歌っても、さまにはならなかったろう。

『シクラメンのかほり』はとても繊細な心の動きを時の経過と絡ませて歌っている。そんな曲をごつい姿のおっさんが作詞作曲したのだ。でも、小椋佳の精神は非常に繊細で、人の心の微妙な動きに寄り添うように、曲と詩を生み出す。それを受けて、布施明がしみじみと歌い上げる。両者の結びつきがうまく成功したのである。

布施明は歌いたくて歌手になった。歌手になるべき運命だった人である。小椋佳は東大の法学部を卒業して、第一勧業銀行に入社する。そして、ある程度の地位につく。ビジネスの社会でもある程度は成功しただろう。ただ、商談をしていても、人々は小椋佳のことを「あの有名な曲の作詞作曲をした人」という目で見てしまう。才能の人だとは認めるが、ビジネス界に向いた人とは考えないのではないか。

そんなあり方は小椋佳自身も苦しんだのではないか。そして結局は若いときに本当にやりたかった音楽の道へ、中年になったから戻ったのだと思う。

そんな人生もありだと思う。小椋佳の歌をYouTube で聴いてみたが(最近のコンサートだが)、かれた声で、淡々と歌う。そんな歌い方もいいなと感じた。

photo credit: Jorbasa Frohe Ostern - Happy Easter 2016 via photopin (license)
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