今日、ニュースで中国のある老人ホームの話をしていた。そこは、ある興味ふかいシステムを取り入れたのだ。家族が訪問する回数が多いと、老人ホームの利用料が安くなるという制度である。

例えば、2ヶ月に30回以上家族が訪問すると料金が安くなる(これは一日おきの訪問になり大変だとは思うが)。そのほかにも訪問回数による割引制度を取り入れたのだ。

中国でも大家族制から小家族制へと移行しつつあるが、家族から見捨てられたような形になっている老人も多い。この状態を改善するために、この制度を取り入れたのだ。ホームの経営者の決断(英断とも言うべきか)であった。

たしかに、老人ホームへ家族が訪問する回数は増えたそうだ。そして、家族が見舞う回数が多くなると、老人の病気が軽くなり、また病気にかかる度合いが減少したそうだ。おそらく、精神的な面から老人に好影響を与えたのであろう。

しかし、ニュースでは、この制度に異議を唱える人もいた。お金が目的で訪問するのは邪道であるとの意見だ。本心から親を見舞いという気持ちで訪問するのでなければおかしいと言っていた。

たしかに、それは正論である。でも、お金が目的でもいいから、顔を見せに来てくれ、と親たちは願うのではないか。

私の母が元気だったときは、訪問するごとに私の子供(つまり孫)に何がしかのお金を渡していた。すると、子供たちはそれが目的で「おばあちゃんのところに行こう」と時々言う。それでもいいのではと思う。

母のそんな姿を思い出して、自分も年を取ってからもある程度はお金を持っていなければと思う。孫が来たら何がしかのお金を渡せば孫も喜ぶし、こちらも孫の嬉しそうな顔を見ると嬉しくなる。

まだ、自分の息子二人とも結婚していないので、自分には孫はいない。将来のことだが、息子たちの家族にも年に何回かは来てもらい、孫たちにもお金を渡したいと思う。それで、貯金を始めなければとか家内とそんな話を時々する。