義姉とその子どもが帰っていった。
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義姉とその子どもが正月の数日間我が家に滞在していたが、昨日戻っていった。義姉は仕事が始まるので、その準備をするということだ。ステージ2のガンをかかえて、本当はゆっくりと休みたいのだろうが、そうも行かないようだ。

子どもは当初はしばらくこちらで預かるという話もあったのだが、しばらくはやはり学校のこともあり、子どもは義姉と一緒に暮らすことになった。手術の時に、家内が義姉の家にしばらく滞在して、お手伝いをすることになった。子どもは家内がそのときに面倒を見るのだ。

話は変わるが、お昼頃自分は、本屋さんに行った。そこで、『続・下流老人』(藤田孝典著、朝日新書)を手にとって斜め読みをした。以前に出た『下流老人』を読んでみて面白かったので、続編にも興味を惹かれたのだ。

本の中では、いくつかの事例が紹介されていた。現役までは中流であったとしても、退職後は生活がいつでも下流に転落する恐ろしさを語った本であると言ったらいいのか。

ある自営業の夫婦は国民年金しか掛けていなかった。老年になればなんとかなるさ、という気楽な気持ちで、二人で自営業をいとなんできた。ところが、奥さんが脳梗塞を患って、その看病・介護もあり、たちまち生活難に陥ってしまったのだ。

私も家内も現時点では、何とか健康で貯金をすこしずつ崩しながら生きている。やや苦しい。しかし、4月から、長男が独立するし、この京都のアパートを解約して、私の嘱託の職場のそばの安アパートに引っ越しをする。昨年は現役時代の収入に基づいて、高い住民税と介護保険税が課せられたが、今年は減るだろうと計算している。4月からは何とか収支のバランスがとれるようになるのではないか。

しかし、それも私と家内とも健康であるという前提の下での生活設計なのだ。もしも、どちらかが病気に倒れたら、どうなるか。遠地に住んでいる義姉の病気でさえも、我が家の生活設計にある程度の影響を及ぼしている。

できることと言ったら何か。(1)健康に配慮すること、つまりアルコールは完全に断つこと、毎朝適度の運動、野菜中心の食事にすること、(2)節約生活にすること、出費を見直して、よりいっそう切り詰めること、それには家計簿の記録を取って金の出入りの状況を見直すことだ。(3)冠婚葬祭はすべて不義理としたい。母の3回忌でお寺から案内が来たが、この財政状況ではニッチもサッチも行かない。無視する。

今は何とか嘱託の仕事を続けているので、年金プラス嘱託の給金で生きている。それでも子ども二人が大学生だと授業料などで苦しくて、貯金を引き下ろす日々であった。

今年の3月で長男は卒業だ。あと次男が無事に卒業したら、自分としたら大きな安心になる。ただ、二人の子どもの学費を心配をすることで自分自身の老いという問題に直面することを避けてきたようにも感じるのだ。

これから、自分自身の老い、病気の可能性、そして「死」の問題、避けていたこれらの問題と向き合うなんて、恐ろしくて足がすくんでしまう。

高校時代のクラスメートから年賀状が来た。「今はルンルンの年金生活です!」とあって、奥さんと一緒に外国旅行をしている写真が印刷されていた。その賀状を手にして、「羨ましい、今の自分にはその余裕はないな」と感じたのだ。

働けるうちに働くのだ。