キョウイクとキョウヨウが大事だそうだ。
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ネットを色々と見ていたら、面白いことを教えてもらった。年をとったら、キョウイクとキョウヨウが大切だそうだ。つまり、キョウ(今日)、イク(行く)ところがある。キョウ、ヨウジ(用事)があることが大切だそうだ。

ある人が60歳でリタイヤして、乏しい年金で生活している、だが、お金がなければないなりに、何とか暮らしていけるそうだ。でも問題は時間をどのように使うかである。それで、キョウイクとキョウヨウがとても大事だと述べていた。

自分には、痛い言葉である。親戚のある人は、「俺は毎日、自宅でテレビの番をしている」とか自嘲気味に言っていた。自宅警備員という言葉もある。そんな生活は退屈で退屈で仕方がないそうだ。

その人は、「その日」が来るのをじっと待っているだけだ、と言っている。その日とは「お迎えの日」であるが、そんな日をじっと待っている生活は自分は耐えられそうもない。

自分は幸いなことに嘱託の仕事が見つかった。乏しい年金に加えて、なにがしかのお金が入り、なんとか生きている。お金のことよりも、とにかくキョウイクとキョウヨウがあることがありがたい。

さて、完全退職となった人は、キョウヨウとキョウイクだが、本当に自分のしたいことをすればいい。年寄りは将棋だ、俳句だ、釣りだ、と決めつけないで自分だけの趣味を見つければいいと思う。

真剣に探せば、何かはあると思う。「うーん、何があるかな」と首をひねる人は、ともかく、外を歩いてみるのがいい。田舎なら田舎で、都会なら都会で、外に出れば何かが起こるだろう。どこかの塀に貼ってある掲示を見れば、~の集まり、とか、~の同好の会、の案内があるのではないか。興味を持ったらそこに行けばいい。

ただ、年寄りは自分を卑下してしまう。「こんな年寄りが参加すれば若い人は嫌がるのではないか」と思ったりする。そんな時は、年寄りの集まりそうな会合に参加すればいいのだ。互いに愚痴の言い合いとか、年金の自慢とか、になりそうだが、でも、何でもいいから、人と接することは大事だと思う。

先日、同窓会があった。苔を集めている人がいた。苔を集めて乾燥しないように新聞紙に包んで水分を与えて育てているそうだ。「うーん、つまらそうな趣味だな。自分には無理だ」と思った。でも、この前、お寺に行って、厚く育っているコケを見たら、その人のことを思い出した。そして、自分もコケをしげしげと眺めた。「なるほど、コケを集めるのも、趣味としてありかな」と思った。

ある同級生は40歳ぐらいの若い女性(?)と一緒にコーラスの練習をしているそうだ。楽しそうだが、自分は音痴でこれも無理だな。YouTube を介して、昔はやった音楽を聴いてみたり、その音楽や歌手に関してブログに書き綴るのは面白そうだ。とにかく、自分は完全退職となっても、キョウイクとキョウヨウは持ち続けるつもりだ。

老後は、静かな航海でありますように。