昨日は、本屋へ行って、週刊誌『週刊文春』と『週刊新潮』を立ち読みした。

今、両方の雑誌とも、話題の前川喜平元文部次官のことが載っていた。『週刊文春』は、前川氏の証言が信憑性があるとして大きく特集を組んである。

加計学園の獣医学部新設について、文科省は当時、準備の遅れなどを理由に18年4月の開学予定時期に難色を示していたが、内閣府からの強い働きかけに押し切られれて許可になった、と前川氏は告白している。

そして、「大臣や次官への説明資料として、高等教育局専門教育課が作成した資料の中に、(獣医学部)設置については、最短距離で規制改革を前提としたプロセスを踏んでいる状態であり、これは総理のご意向だと聞いている。」そのような文面があったと述べている。

この総理のご意向の部分が問題だと『週刊文春』は述べている。真相はまだ分からない。一般社会ではこのようなことは常に起こりうる。部下が一生懸命、社内手続きを得て提案してきたことを社長が受け入れずに、他の指示をすることは多い。部下からすると、社長の指示は理不尽だと思っても、従わざるを得ないことは数多くある。

たしかに、今回の総理のご意向は文科省内の手続きを飛び越しているので感心すべきことではないが、世間にはよくあることなのである。この点をもとに、野党のように、総理の責任を問うこと、たとえば、総理大臣の辞任を求めるまでは、無理なのではないかと思う。

ところで、『週刊文春』は通常は人の下半身の話をするのが好きだ。前川氏が出会い系バーに頻繁に通っていた問題などは、『週刊文春』が真っ先に暴き立てて、「文科省のトップがこんなことをしていいのか」と吠えるのが常だった。しかし、今回はその点は沈黙している。

要は、『週刊文春』は雑誌が売れればそれでいいのである。前川氏が現役の時にそのネタをつかんでいれば、大喜びで「文科省トップ、出会い系バー通い!」などと報じたであろう。しかし、今回は前川氏は文科省のトップとして、その説明には信頼性があると述べている。前川氏=勇気ある告白者とするほうが、雑誌は売れると判断したのだ。

しかし、政府の仕返しは恐ろしい。前川氏のリークに対して、「出会い系バー通いを暴露する」という形で復讐している。そして、前川氏の発言には信憑性がないのだと印象づけている。

本屋で『週刊文春』を読みながら、そんなことを感じたのである。そして、次に手を取った『週刊新潮』では、例の「中吊り広告不正入手問題」を特集していた。そして、有識者にこの問題の感想を述べさせていた。

「文春盗み見問題、私はこう考える」と特集で、池上彰、佐藤優という蒼々たるメンバーをそろえて、週刊文春の悪口を述べている。


さて、私の日々の所感としては、舞台の上に現れる人物、皆、すねに傷をかかえているな、ということだ。皆掟破りをしているな、誰一人クリーンな人はいないな、ということである。もっとも私自身も人のことは言えない。

ただ、このように暴露試合をしていれば、あんまりにも露骨な掟破りは、よくないと互いに気づくようになり、掟破りの程度も回数も減っていくのではないか。それが民主主義だろう。