窓の外を見る。雨が降って、ときおり激しい風が吹く。それに連れて、木々の葉っぱが落ちる。広葉樹は今の季節はほとんど紅葉か黄葉になっている。その葉っぱが落ちてゆく。落ちてゆく葉を見ていると、有名なシャンソンで『枯葉』を思い出した。YouTube で探すとイブ・モンタンの歌が一番良さそうだ。下にその動画を貼り付ける。動画はしばしばリンク切れになることが多いのだが、この動画はそうならないことを祈る。

私の小学校や中学校時代はフランスやイタリアの曲もヒットしていた。しかし、今では、ポピュラー音楽は英語の曲ばかりになってしまった。昔のように世界の様々な音楽を聴ければと思うのだが。

ところで、イブ・モンタンとはどんな人か。名前は知っていたが、その人の経歴などは知らない。Wikipedia で調べてみた。すると以下のようである。

農民の子としてモンスンマーノ・テルメで誕生。母は敬虔なカトリック教徒であったが、父が強固な共産主義支持者であったため、当時台頭してきたムッソリーニのファシスト政権を嫌い、1923年に家族でフランスに移住した。マルセイユで育ち、港で働いたり、姉の経営する美容室で働くなどしていたが、次第にミュージック・ホールで歌うようになる。1944年にエディット・ピアフに見出され、彼女はモンタンにとって助言者また愛人となり、2人の関係は数年の間続いた。
1945年に映画デビュー。1946年に出演した『夜の門』で、主題歌の「枯葉」を歌ってヒットさせた。
1951年に女優のシモーヌ・シニョレと結婚。2人はいくつかの作品で共演している。夫婦でフランス共産党の活動に参加していた。1957年には妻シニョレ同伴で東側諸国全てでコンサート・ツアーを行った。
1961年に米国映画『青い目の蝶々さん』撮影の為に来日している。1月11日にパンナム機で羽田に到着したのち鎌倉、奈良、京都、などに約2ヶ月間にわたって滞在した。
モンタンの浮気がスキャンダルになったことが何度もあったが、マリリン・モンロー(『恋をしましょう』(1960年)で共演)の時は、シニョレが自殺未遂を起こしている。しかし、1985年に彼女が亡くなるまで一緒だった。モンタンはその後1987年、彼のアシスタントだった38歳年下のキャロル・アミエルと結婚、1988年に唯一の実子ヴァランタンをもうけた。
1991年11月9日、『愛を探す旅人たち』の撮影直後、心臓発作で倒れ、死去。

イタリア人であったが、フランスに移住したとのこと、そして共産党員の一家として歌や映画に活躍したのだ。マリリン・モンローと恋仲になったとは知らなかった。マリリン・モンローはケネディ大統領との情事が有名だが、いろいろな男性と恋愛遍歴をしたようだ。まあ、マリリン・モンローのような女性がいたら、ほとんどの男性は心を動かされて、しばしば配偶者や恋人を捨て去ることもあるだろう。

イブ・モンタンは70歳で心臓発作で倒れ死去したのだ。でも、これは考えてみれば、理想的な死に方ではないか。長患いをすることなく、急逝する。その時は、周りの人は大慌てだが、長患いで家族に迷惑をかけることはなかったのだ。そして、彼の年齢である70歳は、私の年齢とそんなに変わらない。私は今まで、健康診断では不整脈が出たことはない。つまり、きわめて心臓は健康だと自分では信じているのだが、いつの日か急におかしくなるかもしれない。

人生の秋か。最近は老人達が死ぬ前にどのような準備をしたのかが気になる。ネットで調べている。多くの人は家族の迷惑にならないように、財産分けの準備をしたようである。まだまだ早いとは思うが何が起こるか分からないのだ。人生の秋かた思っていたら、直ぐに冬になってしまう。時が経つのは驚くほど早い。