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2016-02-23

元少年Aのサイトの画像が気持ち悪いと述べた記事を先日投稿した。引き続いて投稿する。この数日間、いくつかのネットで彼の書いた『絶歌』の内容が紹介されているのでそれを見てみた。かなりゆがんだ内容の本のようだ。

先日、古本屋でも、この本を探したがなかった。新本でもないようだ。アマゾン経由で古本ならば購入できるのだが、そこまでして購入するだけの価値はないだろうと思う。ところで、アマゾンのコメントを見たが、何と2102ものコメントがある。そして、ほとんどが星1つである。星5つを付けた人もいるが、逆の意味で出版社に金儲けのセンスがいいねと皮肉を言って、星5つを付けているのだ。

この本は猟奇的な殺人鬼の内面の告白ということである。文体や内容は分からない。私は本を読んでいないので、見当がつかないのだが、サイトの画像を文章にしたようなものだろうと想像する。

ところで、一般的な話をしてみたい。人は人を殺すことができない、血を見ることもイヤであるし、手足が切れたりするのを見るのは気持ち悪い。牛や豚などの家畜でさえも、ま、鶏などでさえも、解体されるのは見たくない。最近の若い人は、魚の内臓をとりだしてきれいにすることも苦手である。ただ、職業的な訓練である程度はこの苦手意識を克服することができる。

それなのに、犠牲者の首を切ってそれを中学校の正門の上に掲げるとはどのような精神的な構造をしているのかと不思議に思う。

人は人を殺すことはできない、と述べたが、職業として殺すこともある。その最たるものは、戦争という形式を取る。

兵士たちの内的な心的世界はどうなっていくのだろうか。飛行機などのパイロットはボタンを押すだけなので、まだ相手の死を意識しにくい。しかし、陸で戦う兵士たちは、実際の戦場で相手の死と、そして自分が死ぬかもしれない可能性と向き合う。

本能的に相手の死も、自分の死も、人間は避けたいと思う。それゆえに、兵士への軍人教育があるのだろう。勇敢であれ、臆病であるな、などのスローガンが掲げられる。祖国を守れというスローガンが掲げられる。そんな教育を繰り返し繰り返し受けて始めて、人間は、相手の死を、あるいは自分の死を受け入れるのである。生まれながらにしてそのような傾向を持っている人は非常に稀である。

しかし、少年Aは14歳の時点で、人の死に強い関心を持ち、それに関心を持つ自分の異常性に気づき、それを隠すのではなくて、むしろ顕示したいと考えている。現在33歳になった少年の異常性が直らないとしたら、どうなるのか。どのような将来が少年を待ち構えているのか心配されることである。

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