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2016-04-02

今日の中日新聞を読んでいたら、萩本欽一が駒沢大学の仏教学部に入学したという記事が目についた。萩本欽一も今や73歳である。記事の冒頭は次のようになっている(中日新聞4月2日)。

70歳を過ぎて、長年続けた東京・明治座の公演をやめた時に、これからの困難は認知症だと思ってさ。どんどん忘れていく、そこへどんどん足していくのはどうだろうって。認知症対策って、マイナスを心配せずに、プラスを考える。それが大学受験のきっかけだった。

「あなたはちゃんと覚えていますよ」って、このトシで大変だけど、コメディアンらしくていいじゃない。

という記事で、萩本は暗記術も工夫しながら受験勉強して、無事に合格した。そして実際に勉強してみると、仏教学は奥が深い、という感想をのべている。さらに授業はほぼ皆勤だそうだ。

もう、功なり名遂げた萩本欽一にとって、大学入学は純粋に勉強したいという気持ちからである。若い人ならば、就職に有利になるからとか、異性にモテるためにとか、いろいろ考えて大学を選択する。しかし、萩本欽一はそのような気持ちは超越している。

人生の終わりにきて、もうそのような邪念はないのだろう。

私も定年退職を一昨日迎えた。しかし、もう少し仕事を頑張ることにして、嘱託のような仕事をあと数年ほど行うことにした。ただ、気持ちはかなり邪念が消えたというか、清々しい気持ちになっている。

息子たちが大学受験の時に使った参考書は、息子たちは合格するとすぐに捨てようとした。私はその中から面白そうなものを選び出し、保管している。いつか暇になったら、数学や古典などを勉強してみたいと考えていたのだ。それらを少しづつ読み始めたいと思っている。

ところで、受験勉強というのは過酷なものだ。若者たちが本来勉強していたかった道を強引に捻じ曲げて、英語や数学や日本史などを勉強させるのだ。いろいろなことを満遍なく知っておく教養は大切だが、大学受験に結ぶつけると、それらが単なる機械的な暗記になってしまう。

音楽が好きな若者がいて、本来ならば音楽の勉強だけをしておけばいいのだが、就職などの心配から、仕方なしに英語や数学を勉強せざるを得ない。これが日本を始めとする東アジア諸国の勉強の特徴だ。

個性を伸ばす教育。やりたいことだけを勉強させる教育が必要だが、しかし、一般的な常識もやはり必要だ、という意見もある。大学受験程度の英語や数学や日本史は一般的な常識であるということか。

将来に専門的に勉強するためには、これらの知識は確かに役に立つ。というわけで、矛盾する二つの意見はそれぞれ理由がある。この二つをどのように両立させるか。教育界の学者たちが長年議論しているが、まだ結論は出ていない。

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