2016-05-20
舛添要一が今日の午後2時に記者会見をするそうだ。記者からは金銭疑惑に関して次から次と質問が出るだろうが、これに対してどう説明するのか。普通の神経の人ならば、とっくに辞任表明をしているだろうが、彼のような海千山千の人物は簡単には白旗をあげないだろう。
彼の経歴をWikipedia で見てみる。福岡市生まれで八幡高校卒業とある。東京大学の法学部政治学科を1971年の6月30日に卒業とある。(どうして3月31日でないのだろうか?おそらく、東大闘争の余波で、卒業が遅れたのであろう)。そして翌日の7月1日に東京大学の法学部政治学科助手に着任とある。
東京大学では優秀な卒業生がみんな官僚になられると困るので、これはと見込んだ卒業生はすぐに助手に採用する。助手採用と言うことは、将来は東大教授の地位を約束したようなものである。
その後、パリ大学やジュネーブ大学に留学している。この当時、留学は金がかかるものなので、舛添は奨学金をもらっての留学だと思う。つまり、難関の奨学金試験をパスするぐらいに優秀だったのだろう。
1979年に東京大学教養学部政治学助教授に着任している。(1989年6月退任)。31歳の若さで助教授か。東大は優秀な人は年齢に関係なく採用していくという方針のようだ。
それ以降はたくさんの本を書いている。フランスのこと、介護のこと、政治関係、定年後の生き方、などである(私は一冊も読んだことはないのだが)。
マスコミに出るようになり、本も売れたので東大をやめたようだ。その時のエピソードで、大学の試験監督の仕事で、入り口で見張り番の仕事をさせられたので彼は馬鹿馬鹿しいと感じた、というような記事を読んだことがある。彼くらいの頭になると、周りの人が馬鹿に見えるのだろう。
それ以降はマスコミの寵児となり、また現在は都知事という高みまで上り詰めたのである。
Wikipedia には、彼の生い立ちについて、次のように記されている。
要一の幼少時は(一家は)青果店を経営し、比較的裕福な家庭に育ったが、小学2年の時の火災をきっかけに父が病臥(要一が中2の時に死去)、家業も傾き、以後は貧困の中で苦学した。
気になるのは、「貧困の中で」という部分である。貧しい中で育つと、金銭感覚が異様に研ぎ澄まされる。悪く言えば、セコクなるのだ。この部分は人の原点とも言うべきもので、大人になってから裕福になったとしても変わらない。都知事となり収入も多くなっても、少年時代の貧困体験は、彼の人生の原点なのだ。
さて、今日の2時からの記者会見だが、私は仕事の関係で見ることはできない。はたしてどうなるか。とにかく、辞任は避けられないであろう。そして、人々の関心は次の都知事は誰か、ということに移っているようだ。