2016-08-28
日本人は完璧さを狙いすぎる、と考える。仕事がそうだ。90%ほどの出来映えでいいのだろうと思う。ところが、それでは十分ではないとされる。99%にしなければならない。ところが、それには途方もないエネルギーがかかる。90%にするには10ほどの努力で済んだのだが、それを99%にしなければならないとなると、プラス100ほどの努力が必要となる。
これを100%にしようとしたら、プラス1000ほどの努力が必要となる。指数関数的に費用対効果が薄れるのである。こうなると、みんなで話し合って、努力をやめたらと思う。ほどほどのところで済ませたらと思う。
しかし、日本ではどこも大変だ。レストランは少しでも美味しくと競争し合う。自動車メーカーは一円でも安く、一つでも高性能の車を発売して、競争相手を凌駕しようとする。だがら、ブラック企業が日本には続出するのだ。
女性も同じだ。すでに十分に美しい人がさらに美しくなろうとする。他人から見たら、90%の美しさで十分と思うのだが、本人は99%の美しさを狙って膨大な努力をする。化粧品、整形、美容マッサージなどである。少しでも競争相手の女性よりは美しくなろうとするのだ。
入試もそうだ。一点でも相手よりも高い点数を取ろうとする。もう十分に知識があるのではないかと思える秀才が、参考書をさらに何回も読み直す。だからこの社会は進歩しているとも言えるが、その分ストレスをため込むことになる。
ある程度年を取った人間にとって、定年退職は、もうラットレースをしなくてもいい、ということなのだ。それで人々にとって待ち遠しい時期である。
人類は科学技術が進んで生産性を高めている。現状の生産力で、今の人類の2倍3倍ぐらいの数を食べさせるだけの余裕があるように思える。みんなが9割ぐらいの仕事でいいということを互いに確認し合って怠け合うのでいいのではないか。そうすれば、幸せな社会がやってっくると思う。
社会主義はその意味で、競争をなくして、人々がマイペースで生きることができたよい時代だった。生活は貧しかったかもしれないが、資本主義の社会に生きる人ほど強いストレスにさらされることはなかった。
でも、日本人の性癖として、社会主義の世の中でもやはり完璧さを狙ってストレスの高い社会を作るのだろうな。