2016-08-31
自分は洗脳されたくないといつも思っている。もちろん無意識のうちにいろいろと洗脳されてしまうのだが、少なくとも自分はどれくらい洗脳されていることは気づいていたいと思う。
教育も洗脳の一種であると考えられる。小さいときから、我々はたくさんのルールを覚え込まされる。遅刻してはいけません。目上の人には敬語を使いなさい。人の前であくびをしてはいけません。宿題はかならず提出しなさい。たくさんの規則を覚え込まされる。それらを小さいときから骨の髄までたたき込まされるのだ。
欧米の教育の素晴らしいところは、教育とは自分で考える力を身につけることである、という考えが教育界で徹底していることである。疑問に感じたら、質問をする。目上の人に対しても、議論をふっかける。目上の人もそれに対応して反論していく。目下の人が議論をふっかけるなんて、それは生意気という風に日本では考えられるが、欧米では受け入れられている社会習慣である。
自分が会社に入ったときに最初に感じたことは上下関係が非常に厳しいと感じた。上の人には「~さん」と呼びかけ、目下の人には「~君」と呼びかける。入社して始めに思ったことは、会社の誰が目上で誰が目下か覚えなくてはいけないのか。これは面倒くさいな、という感想だった。また、課長や部長のいうことは、できるだけ早く反応する。部下たちは互いに忠実度を競い合っているのだ。見苦しいなとも思った。
ただ、世の中こんな物だと思っていた。ただ、目下の人が先に出世したら、この人たちの人間関係はどうなるのかと思った。目下の人間が上司になった瞬間から、「~さん」「~君」の呼び方を反対にするのか?
組織の中ではそのようなものかと思ったがこれは一種の洗脳であろう。自分はそれから教員の世界に異動したが、驚いたのは全員が平等という立場であることだ。全員が「~さん」と呼び合って、仕事も互いに話し合って納得した上で行う。ただ、仕事はゆっくりだ。学校には新しいことは起こらない。すべて毎年同じことをしている。入学試験、入学式、定期試験、修学旅行、遠足、卒業式である。であるから、ゆっくりと話し合っても何も問題はない。
会社は機動力を高めなければならない。ライバルと戦うためには、「先んずれば人を制す」である。次から次と新しいプロジェクトをこなして行くには、上下関係が厳しくて、信賞必罰であったほうがいい。スピード感が大切である。
自分は二つの世界を経験したら、これはよかったと思う。一つしか経験しなかったら、世の中はこんな物だと考えてしまう、つまり洗脳されてしまったであろう。その意味で、人間は、つねにどこか醒めている部分があることは必要だろう。もちろん、会社などの新しいプロジェクトはみんなで燃えながら取り組めばいいのだろうが、その場合でもある部分は目覚めている必要がある。
ブラック企業で働いていて、自殺する人が時々いる。ブラック企業という世界に入り込み、そこの論理がすべてという風に洗脳されてしまうのだ。「ちょっと横を見てごらん」と言っても洗脳されたら外が見えないのだ。思い込みとは、自己洗脳とも言えるだろう。
現代などは、膨大な量の情報がネットなどで飛び交っている。それらを見ることで洗脳からは逃れられると思う。すると、どんな人生が可能だろうか。ホリエモンなどは、洗脳とはまったく無関係の人のように見える。常に醒めているな。ただ、目立つために、わざと世間常識とはことなる発言をして注目を浴びようとしている。これは生きてゆくために仕方がないことか。