2016-09-08
今年のミスワールド日本代表にインド系ハーフの吉川プリアンカさんが選ばれたことを昨日書き込んだ。調べてみると、昨年のミスユニバースの日本代表に宮本エリアナさんというアフリカ系ハーフの女性が選ばれれている。
今までは、ミスコンテストの日本代表は常に日本的な美人が選ばれていたが、このところ、新しい基準で選ばれている。このことを非難する人もいるが、自分としては非難すべきでも賞賛すべきでもなくて、現実として受け止めるべき単なる事実なのだと思う。
これだけ、国境の壁が低くなり、人々が簡単に移住して定住してくる時代に、「純粋な〜人」である人はほとんどいなくなるのではないか。先進国には、職を求めてたくさんの移民が来るので混血の増大は必然的な傾向である。
従来は、白人とのハーフは格好いいとしてもてはやされるが、非白人系のハーフはあまり重宝されていなかった。しかし、これは偏見であるので、日本人の意識改革をしなければならない、そんな使命感から審査員があえて非白人系のハーフを選択したとも言える。
さて、美人とは何か。男でも女でも、経済的に豊かな国の人々が一番美しく見えるのだろう。経済的に一番豊かな国(今はアメリカ)の人が格好良く、音楽も素晴らしく、言語も魅力的で、ファッションもセンスがよくて、世界中の人々が真似をする。
最貧国の人々は格好悪く、音楽も服装もダサくて、言語も耳障りであると感じてしまう。このように人間は感じてしまう。
昔は太った人が格好良かった。ほとんどの人が飢餓ギリギリの生活をしている中で、たっぷりとおいしい物を食べて太った人は、ふくよかで、太つ腹で、金を稼ぐ才能があると尊敬されていた。しかし、いまは、自分の体調管理もできないだらしない人となっている。
要は「美」の絶対的な基準はなくて、一番金を持っている民族の顔や姿が、その時代の美の基準になるのだ。
あと、100年もしたら、純粋な日本人なんていなくなるのではないか。すべて〜系日本人となるだろう。でも、それでいいのだろうと思う。