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自分は60代の人間である。世間で言う「高齢者」、カタカナ語で言うと「シニア」である。以前は、「老人」とか、「年寄り」と言われていたが、語感が悪いということで、最近は、ちょっとカッコ良い「シニア」などの語が使われる。そういえば、罵倒するときは、「老いぼれ」などという言い方もあったな。

シニアになると、生きがいが見つけづらくなる。若い人は将来のことを考えて、それが励み、生きがいになる。が、シニアは、10年後にどうする、20年後にどうする、という夢をいだきにくくなる。

自分の今のところの生きがいは、次のようなことだ。

(1)昔の楽しかったことを思い出す。時々はブログに綴る。
(2)嘱託の仕事をしているので、社会にまだ貢献をしているのだと自分にプライドを持っている。
(3)散歩して写真を撮ったり、植物や鳥を見たりして目を楽しませている。
(4)夕食時に焼酎を飲む。昨晩は雲海(麦焼酎)をワンカップ飲んだ。

本当は旅をしてみたい。東京に行って時代の最先端の日本を見てみたいとか、ひなびた温泉に数日浸かっていたい、とか考えることがある。しかし、お金がない。毎月、貯金を取り崩す生活である。これは二人の子どもの学費に大きなお金がかかるからだ。いつになったら、家計がバランスが取れるようになるのか。

(5)子どもの成長を見るのが楽しみだ。遅くなって生まれた子どもたちなので可愛さもひとしおである。


さて、10年後の自分は、どうなっているのか。まだ生きているだろうな、そう願いたいが。

夕食後の焼酎は無理だろうな。昨晩は、焼酎をワンカップ飲んだだけだが、少々頭痛がする。体力的にはアルコールは次第に無理になってきている。

嘱託の仕事は、そのころは無理だ。もうじき完全引退だ。

散歩はいつまでも楽しみたい。体重をもう少し落として膝などの負担にならないようにしたい。靴はウオーキング用のいい靴を買いたい。安い靴だとすぐに足が痛くなる。10年後も散歩は楽しみたい。

子ども達が一番可愛いかったのは、二人が小学生の頃だ。あの頃は家族で食事会などが楽しかった。今は、子ども達が独立しつつある。家内はそのことをとても寂しがるが、仕方がないことだ。

それから、昔の楽しかったことを思い出すこと、そしてブログに綴ること、これは10年後も可能だろうな。


問題は、20年後である。もしも生きていたとしたら、寝たきりになっているのではと恐れる。

寝たきり老人の生きがいには何があるのだろうか。母は最後の数年は施設でお世話になった。その頃は寝たきりになった。寝返りも打てなくなり、排便さえも難しくなってしまった。

自分は見舞いに行ってある日、「母さん、毎日、何考えている?」と聞いたことがあった。母の答えは、「時間の経つのをじっと待っている」であった。

その意味は何かと今考えてみる。「退屈なので時間の経つのをじっと待っている」という意味か、「死の来るのをじっと待っている」という意味か。どちらだったのか、やはり、分からない。

寝たきり老人の生きがいという問題は厄介な問題だ。つまり、解決策がないからだ。もしもあるとすれば、昔の楽しい思い出に耽ることと、時々は家族が見舞いに来てくれることを待つことであろう。

photo credit: Neil. Moralee I See No Ships. via photopin (license)