老ノ坂を越える。
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2016-06-28

日曜日の日は、京都から亀岡へ買い物に行った。京都と亀岡は山道であり、途中で老ノ坂という坂がある。

私はこの坂を運転するたびに二つのことを思い出す。一つは、豊臣秀次の一族女子供39名が処刑されるために、京都の三条河原へ向かって進んだのである。秀次が切腹の後、預けられていた亀山城からこの坂を越えて、京都に向かったのである。その一行の人々はどのような気持ちで、この坂を越えていったのか、想像すると気が重くなる。

また、天正10年(1852年)明智光秀が織田信長を京都の本能寺に滅ぼした時には、軍勢を率いてこの峠を越えたのだ。この道を、当時は山道であろうが、兵士たちや馬がここを通ったかと思うと不思議な感じがある。

自分の主君である信長を討ち変わって自分が天下を取る、といつ決断したのか。決断は非常に大事である。明智光秀の決断を時々自分は想像する。どのような経緯で決断に至ったのか。おそらく、迷いに迷ったであろうが。

さて、光秀は信長から、毛利を攻めている豊臣秀吉に加勢するために備中へ向かうように命じられたのだ。そして、自分の本拠地である亀山城(亀岡城)に戻った光秀は、そのまま備中へは向かわず、逆に老ノ坂を越えて京都に向かったのだ。その決断の過程だが自分を光秀に投影するとゾクゾクする。「敵は正に本能寺に在り」。謀反は失敗すれば自分の命はない。しかし、成功すれば天下を取れるのだ。その誘惑、その決断だが、彼はその賭けに負けたのだ。 

本能寺の変という歴史上の大事件の舞台として、この老ノ坂があったのである。本能寺の変がなければ日本の歴史は明らかに変わっていたであろう。豊臣秀吉は天下を取らなかったかもしれない。徳川政権はなかったかもしれない。鎖国はなかったかもしれない。戦争は起こらなかったかもしれない。歴史の if をいろいろと想像するのだ。

道を登る。左側は大きな墓地がある。
道を登る。左側は大きな墓地がある。
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左は老人ホームである。
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歩道橋の上に登って亀岡方面を撮す。
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歩道橋を登って京都方面を撮す。