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自分の人生の中で、60年以上生きてきたが、不倫をしているカップルや、しているという噂のカップルは何組か見てきた。

多くの場合、周りの人々は知らぬふり、気づかぬふりをしていた。そのことで、その二人を強く責める、ということはなかった。もちろん、ひそひそ話として、噂になることはあったが、あくまでもひそひそ話であり、公に何かを言うことはなかった。

この場合は両者が合意していたのであるから、赤の他人である我々が関知することではない、という態度である。関係するのはその人の奥さんであり、本人たちと奥さんとで解決策を探ってくれということだ。

セクハラならば、これは大事になる。一方が嫌がっているのに、仕掛けるのであるからだ。セクハラをされた女性が上司に訴えて、セクハラをした本人は即辞表を提出してやめた事件があった。これはセクハラをしていた男性も心やましい点があって、恥じてやめたのである。

でも、自分の観察してきたところでは、セクハラは「くせ」なのではと思う。魅力的な女性を見ると自動的に口説き始める男性がいる。これは「くせ」であり、治すのは難しい気もするが。

話は戻すが、まあ、こんな風に両者が合意している不倫は、自分の周りの人々は見て見ぬ振りをしてきた。ところが、『週刊文春』などゴシップ雑誌は、それを暴き立てるという野暮なことをする。「このカップルは道徳心がないとか、倫理的に問題であるとか」という大義名分を掲げてである。

文春の記者たちも不倫はするのであろうから、有名芸能人の不倫を暴くのは飯のタネと割り切っているであろう。文春が道徳心を掲げるのは一応のポーズであろう。

自分としては、基本的には、不倫をしているカップルや、しているという噂のカップルには、知らぬふりをしておくのが大人の知恵だと思う。揉め事となったら、それは本人たちで解決すればと思う。今回の渡辺謙のような有名人にも個人的なプライバシーを守る権利はあると思うので、赤の他人が関与することではないと思う。

だから、自分は週刊誌のゴシップ記事を読むのは強い抵抗を感じる。もちろん、ベッキーの場合のように、とても面白そうな場合は興味津々で読むが、それでも深く知りたいという気はしない。そんなことがあるのか、という程度で十分だと思う。

photo credit: mallitch take2 via photopin (license)

自分自身を見れば自分は道徳的に高くないことを知っている。自分は不倫をしたことはないが、その理由は、自分が高い倫理観を持っているからではなくて、自分が不細工であること、さらに、これは決定的だが、お金がないからだ。

自分みたいな一文無しを相手にする女性はいないことを知っているから、何もしない。結果として、自分は不倫とは無縁なのだ。