2015-10-29

現代は社会が混迷を極める時代である。私が二十歳ぐらいの時は、日本は毎年高度成長の時代であった。目に見えて人々の生活が豊かになっていくことが実感できた時代であった。その当時に聞いた歌謡曲は個人レベルでは失恋の歌はあっても、社会への失望の歌はなかった。時代が若かったのである。人々は今年よりは来年、来年よりは再来年がより豊かになると確信していたのである。

ところが、近年、老後破産、介護地獄、年金縮小という言葉が聞かれるようになった。ここで介護地獄は大変であることを告げたい。私自身も1年ほど前に母を看取った。4年ぐらい前から2年ほど介護をしたが、それは大変であった。ただ介護地獄とそこまでは行かなかった。ただ、段々と弱っていく母親を見ていると、どのように介護をしたらいいのか困ってしまった。

一番の問題はやはりトイレなどの始末である。おむつが適切に当たっていればいいのだが、寝ているうちにおむつがずれたりすると、次の日の朝は汚れがベット一面に広がってしまう。慌ててシーツの洗濯をしたり、身体を拭いたりしてから職場に向かったのだが、それは大変であった。

しかし、段々と母は動けなくなり、介護度は1から2,そして3から4へと上がっていった。介護度3の時点で施設を探しはじめた。安い特養はどこも一杯で数年ぐらい待つ必要があるとのことであった。その時に、親戚の人が「もしも長くない命ならば、やはり快適に過ごせるように少々お金がかかってもよい施設をさがしたら」と言ったので、その言葉をヒントにして、少々値段がかさんでもしかたがないと思い色々当たった。

すると大阪は有料老人ホームがたくさんあり、「激戦区」であると聞いたので、そのあたりを探した。すると茨木にある高級な施設だが、比較的に安い値段で提供してくることを知って、そこにお願いする事になった。やはり値段の高い施設はサービスも充実していて、母はかなり回復して元気になった。しかし、それから、1年後に軽い脳梗塞を起こして、寝たきりになり、胃瘻という形で栄養補給するようになった。

ただ、病院でみてもらえるようになり、いわゆる看取り病院である。私の負担は金銭面だけであり、いままでのように自分が実際に身体を拭いたり、おむつを替えると言いうことはなくなった。このときには、介護保険にいろいろとお世話になり、また後期高齢者なので、医療費も一割負担とかなり助けてもらった。日本の制度はありがたい。

問題は自分の番の時である。医療費がどうなるか、自分の貯金はどうなっているか。子どもたちは自分の世話をしてくれるのか。しかし、、、、、、とにかく、今はそんなことは考えたくないのが、本音だ。今は、仕事を見つけ金を貯めることに専念したい。