2016-01-22
自分は『週刊文春』と『週刊新潮』の二つの週刊誌の威力や取材力は同じようなものだと思っていたが、どうも若干異なるようだ。それは『週刊文春』の方が取材力が上であるという大方の評価である。文藝春秋社は潤沢な資金を持ち、時間をかけてしっかりと取材を進めるという。特に、反響の大きそうな材料の時は、複数メンバーでのチームを組んで、チームプレイでネタを集めていく。さらには文春にタレこむと多額の礼金がもらえるそうだ。情報の蓄積は相当であろう。今までの取材でノウハウは積んでいるであろうし、文芸春秋社に入るくらいだから頭の回転のいい人たちに違いない。新潮も似たような性格だが文春には劣るようだ。
ところで、道徳に反するスキャンダルと刑法に反するスキャンダルがある。犯罪に関するネタは警察にタレこみも可能である。しかし、警察はよほどの内容でないと動かないと思う。さらには、警察は結局は国家権力の一部であり、与党の腐敗を暴露するなどという内容ならば、上層部から圧力がかかり、ヘタレ腰になるのは目に見える。
この点で文春の取材力には敬服する。甘利大臣の汚職など、タレコミがあったろうが、よくも詳しく調べたものだ。このような犯罪に関する取材は警察ができない仕事を行うという意味で認めるべきことであろう。しかし、道徳に反するネタには慎重に取り扱う必要がある。
人間には誰でも後ろめたい部分がある。闇の部分である。有名人の闇の部分にめがけて文春取材班は飛び込んでいく。金(取材資金)を人(有能な取材記者)とメディア(全国的に販路を持っている雑誌)を持っている『文春』や『新潮』が権力になるのである。人の道徳的な部分を暴くとは要はプライバシーの問題と関係する。
『週刊文春』と『週刊新潮』は親会社の文芸春秋や新潮でよく執筆してもらう作家のスキャンダルには及び腰だとよく言われている。その意味では叩くには安全な人を狙うのである。
公平な報道のありかた、報道各社の資本主義の社会では、営利企業であり、ちゃんと収入を得なければならない。話題になりやすく雑誌の売り上げに貢献しそうな芸能人はそのネタになりやすい。つまり、文春や新潮には反権力という側面があり、その点は評価されるも、自らが権力となる要素もあるという点は忘れてはいけない。ベッキーや川谷たちが個人が必死に防衛しても、膨大な資金を持つ有能な取材陣が波状攻撃してきてきたら、勝ち目はないだろう。やはり所属事務所の知恵を借りることになる。しかし、今回は、負け戦の様相が強い。
ではどうすればいいのか、逆転の思考だ。芸能人は注目を浴びてこそ、生きる道だと割り切ることだ。デビ夫人を見ることだ。あの堂々とした悪役ぶり、見習うべきではないか。