もう少しだらしない社会が望ましいのだが。宮崎謙介議員のことなど。
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2016-02-11

社会は次第に変化している。サービス競争で次第にサービスの質が高まっている。スーパーで買い物をしても過剰包装である。刺身のパックを買うと、レジでさらにビニール袋に入れてくれる。これでは、レジの担当者の負担を増やしているだけのように思う。購入者が必要だと思えば、あとで自分でビニール袋に入れればいいのだ。過剰サービスの競争で、営業時間を互いに延長しあうショッピングモールだが、これは顧客には便利だが、従業員にとっては地獄であろう。

また、ネットが便利になった。自分はよくWikipediaを利用するが、これは非常に便利だ。何でも分かってしまう。このところ、話題になっているのは、宮崎謙介議員の不倫騒動である。妻が出産で入院しているときに、自宅に女性タレントを連れ込んだとされている事件である。

宮崎議員をWikipediaで調べると、もう不倫騒動のことも記載されている。さらには、この議員の経歴やさらには初婚は加藤紘一の娘と結婚していたことも書いてある。また、今の不倫相手の名前も宮沢磨由と書いてある。その人の写真までも広く出回っている。何でもかんでも分かってしまう。便利と言えば便利だが、恐ろしいと言えば恐ろしい。

さらに、『週刊文春』という恐ろしい週刊誌がある。たいそうな資金を持っているようで、面白いネタを提供してくれた人には、たっぷりと報償金を渡すようだ。この週刊誌に目を付けられたら、たちまちプライバシーなどは丸裸にされて、面白おかしく書き立てられて、大変な赤っ恥をかいてしまう。

対抗できるのは、ホリエモンとか橋下徹のような心臓に毛が生えたような連中だけだ。凡人たちは必死で逃げ回って文春に目を付けられないようにと願うだけだ。

さて、こんな社会でいいのか自問してみたい。至る所に監視カメラが設置されて、マイナンバーが導入されて、もう何も隠すことのできない社会は果たしていいのか。人はちょっとした出来心で犯罪を犯すこともある。しかし、ネット社会ではその名前は永遠に残る。逃亡しても、カメラのある大通りを歩くことはできない。脱税もマイナンバー制度で非常に難しくなる。

人間が聖人君子になることはできない。かならず後ろめたい部分、闇の部分を持っている。その部分は触れないように、あからさまにしないようにするのが、社会が維持していくための人間の知恵であった。その知恵が効かなくなっている。

自分はこの社会が巨大な密告社会になりつつあることを懸念する。神の存在のような文春、監視カメラ、マイナンバー、Wikipediaがたちどころに罪に対して罰を下す。しかし、あまりの正義は望ましいことか。自分としては、もう少しいい加減な社会、もう少し寛容な社会、もう少し隙のある社会、もう少しだらしない社会を好むのだが。

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