天地真理について(2)
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アイドルとは

国民的なアイドルであった天地真理とは何か。そもそも、「アイドル」だが、Wikipediaによれば、1971年デビューの新三人娘(小柳ルミ子・南沙織・天地真理)らがアイドル歌手の源流とされるそうだ。そして、アイドルの定義を「成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物を指す」としている。

この定義は非常に面白い。「成長過程をファンと共有する」とはアイドルと常に寄り添い、アイドルの一挙手一投足を見守り、真似をすることである。自分のパートナーのように感じることができて、一緒に成長したように感じることができるのだ。

「存在そのものの魅力」とは、歌のうまさに魅了されたとか、テレビや映画での卓越した演技力に感動しただけではなくて、その人自身の存在を素晴らしいと感じることなのだ。

天地真理のアイドルとしての特徴として、男性からも女性からも熱心なファンがいたことであろう。両性からアイドル視される人、そして天地真理の存在自体が素晴らしいと感じるファンが沢山いたのだ。

天地真理の第二期

8月28日の記事「天地真理について(1)」では天地真理の第一期について語った。ここでは、スタートして登場して、あれよあれよという間に国民的なアイドルになった経緯を述べている。

天地真理には、次のステージがあった。それは、小柳ルミ子ならば、芸能界に居続けてたし、南沙織ならば篠山紀信と結婚して引退した。天地真理の第二期はこれらの新三人娘の中では異なる歩みを行った。

天地真理は、退院後はしばらくいくつかの曲を発売する。それらは残念ながら1970年代のような華々しいヒット曲にはならなかった。アイドル路線から大人の歌手への転換を図ろうとしていたのだが、それはうまく行かなかった。

そして、1980年代以降にヌード写真集を出したり、ポルノ映画に出演したりする。それらをどのように評価したらいいのか迷う。自分は前に「天地真理の黒歴史」という記事を投稿している。

その記事では、天地真理の第一期を白歴史とすると第二期は黒歴史であることを述べている。

ただ言えることは、通俗な言い方だが、これらの出来事は、天地真理自身の自分探し、であったと言えよう。20代の時はヒット曲に恵まれていたときは人々がちやほやしてくれた。そしてヒット曲に恵まれなくなると、金にならないと分かると人々は去って行く。

そんな時は、自分とは何か、何をするのか、過去の栄光をどうするのか、彼女自身で何回も問いかけたのであろう。そして、下した結論がヌード写真集やポルノ映画出演であったろう。

多くのファンたちは彼女のこの行動を見るのが辛かったろう。ファンはアイドルの成長過程を共有するのであるが、共有できないと感じた人も多かったろう。

天地真理の第三期

天地真理は1986年に結婚する。結婚は彼女に一つの安らぎを与えたことと思う。翌年は娘を生む。子どもができたのだ。天地真理は自分探しの旅はひとまず結論が出たと考えたろう。この夫に従い、専業主婦として、そして娘を育てることが自分の使命と考えたろう。

しかし、1996年には離婚する。彼女は再び一人になったのだ。でも娘さんがいる。

天地真理の第四期

この時期から天地真理の体型が変わった。芸能人、特に女性の芸能人は外見をよく語られる。若い人は天使のような姿であった彼女が、ふっくらとした姿になったことは、これまたお茶の間に驚きを与えた。

彼女は、コメディアンとして生きていこうと決意したのではと私は推測する。バラエティ番組などに登場して、そこに自分の場所を見つけようとした。

人間が生きてゆく中で、様々な決断を下す。ゆっくりと状況に流されながら決意してゆく場合もあれば、突然大決心を知る場合もある。天地真理はどちらかと言えば、前者のタイプ、徐々に考えが定まってゆくタイプのようだ。

さて、アイドルとは「成長過程をファンと共有し」と述べた。第二期、第三期、第四期と彼女の変貌が続く。この変貌は明らかに、彼女なりの成長なのである。この成長を共有できる人こそが真のファンと言えよう。

あるアイドルは単に平らな道を歩いてゆくだけだ。しかし、天地真理は、高い山に登り、そして深い深い谷へと降りてゆくタイプなのだ。真のファンとは、彼女と一緒に高い山に登り、そして深い谷へも降りてゆける人なのである。